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帰省

大阪港から約3時間、高速フェリーは高松築港に到着した。

関空に着いたのは昨日の夕方で
その日の内に高松まで帰ることもできたけれど
時間的に遅くなるので私は無理をせず大阪に宿を取った。

大学の夏休みを利用しての帰省、と言うか帰国。
軽々しく往来できる距離じゃないから
一年振りの高松になる。みんなは元気かしら?

フェリーのゲートを出ると私はタクシーを拾った。
「あれ? 杉原さんのお嬢さん?」
タクシーの運転手さんは私の顔を知っていた。
こういう言い方はあんまり好きじゃないけど
家は地元じゃ名士だから顔を知られていることは結構多い。
まあ行き先を説明する手間が省けていいけど。
タクシーは私が高校まで過ごした町を駆け抜け
郊外にある小高い山――通称”杉原山”――を登って行った。

「ただいま!」
家の玄関を開けて声を掛けると
奥から顔を出したのは家政婦の洋子さんだった。
洋子さんは私が小学生の頃から家で働いてくれている
今では家族の一員みたいな人。
「お帰りになるなら、あらかじめご連絡ぐらいくださいな」
何の連絡もなしにいきなり戻ったから
洋子さんから少し小言を言われちゃった。

洋子さんの入れてくれた紅茶を飲みながらくつろぐ。
ここは山全体が家の土地で
周りには他の民家もないからすごく静か。
「ママは?」
「奥様は婦人会の集まりにお出かけです」
パパは…いないのはいつものことだけど…。

「真奈美は…? また森に行っているの?」
裏山の森は妹の真奈美が一番好きな場所で
休みの日はそこで好きな詩集を読んで過ごすことが多い。
まあ、今日みたいに天気の良い日は真奈美じゃなくても
あの小川の傍で過ごすのはすごく気持ちが良さそう。

でも洋子さんは私の意に反して
「今日は町にお出かけです」と答えた。
真奈美が出かけるなんて珍しいわね。
それに洋子さんのあの意味ありげな笑みは何…?
そう思っていると、洋子さんが言った。
「何だかずいぶん念入りにおめかしして出かけられましたよ」
…ははぁん、そういうこと…。私はちょっと町に出てみることにした。

真奈美が町で行きそうなところは大体予想がつく。
とりあえず栗林公園に行ってみるとすぐに見つかった。
その隣には男の子が…。

「真・奈・美♪」
そっと後ろに近づいていきなり声を掛けると
この子ったらおかしいくらいに慌てて振り返った。
「おっ、お姉ちゃん、い、一体いつ戻ったの?」
「ふ〜ん…真奈美も案外、隅に置けないわね」
真奈美の質問には答えず
二人を見比べながらそう言うとこの子は真っ赤になって俯いた。
こういうところは変わらないわね。と、
「ごぶさたしています」
男の子が私にそう言って挨拶してきた。
ごぶさたって…? あっ!
「あなたって…ひょっとしてあの時の子?」

あれは私がまだ高松で女子高生やってた頃、真奈美が中学生の時。
生まれつき病弱なせいもあったけど
あの頃の真奈美は学校にほとんど行かない
半ば登校拒否みたいな状態だった。
そんなある日、一人の男の子が度々訪れるようになった。
それがこの子だった。
横浜から転校して来たというこの男の子は
人見知りの激しい真奈美の心を徐々に開いて
ついにはまた登校させるまでになった。
でも確かこの子はあれからすぐにまた引っ越したって聞いてたんだけど…。

私がそんな疑問を口にするとこの男の子は
今は東京に住んでいて時々高松まで来ていると説明した。
ふ〜ん、高校生で高松と東京の遠恋か…なかなかやるじゃない。
「それじゃ、邪魔者は退散するわ。ごゆっくり、ね♪」
ウインクしながら手を振ってその場を離れると
真奈美は相変わらず真っ赤になって俯いていた。
男の子の方もどう答えたらいいのか解らないみたいで
頭を掻きながら曖昧に視線を逸らせた。

夕食後、少し休んでから真奈美の部屋に行った。
「で、どうだった? デート♪」
「もう、お姉ちゃんったら…」
真奈美は赤くなって俯いた。
机の上の写真立てには昼間の彼の隣で微笑むこの子がいた
引っ込み思案なこの子が、人前でこんな笑顔を見せるようになったのね。

真奈美は勉強を一段落させて休んでいるところだった。
そう言えばこの子も高校三年、もう受験なのよね。
「大学は東京のを目指すのね」
「えっ、何で知ってるの? まだ誰にも言ってないのに…あっ」
「あら、やっぱりそうだったの? ちょっとカマかけただけだったのに♪」
そう言うと真奈美はちょっと膨れた。
「うふふ♪ そんなに怒らないでよ。…彼が東京に居るから…でしょ?」
「…うん」
赤い顔のままこの子は頷いた。
出不精なこの子が東京の大学を目指すなんて
良い傾向ね。あの彼には感謝しなくちゃね。
「勉強、見てあげようか? 絶対合格しなくちゃね」
「うん…でも大丈夫? もう現役じゃないでしょ?」
「あっ、言ったな。少なくとも英語は負けないわよ。何しろ本場仕込みだしね」
「うふふ…じゃ、お願いします♪」
真奈美は一休みを終えて机にノートと参考書を広げた。

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